本日は講談社現代ISメディアの記事「ルポ教育虐待①有名高校退学後の人生」をご紹介します。 教育教育ジャーナリスト、おおたとしま氏の「ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる⼦どもたち」の刊行を記念して本書より、おおた氏が見てきた「教育虐待」の実情を紹介した内容です。
■中学受験後も勉強に追われて成績下降
大手不動産関連会社の営業職として活躍する40代男性Aさんの話です。
物心ついた頃からお受験塾に通わされて、国立大学附属小学校を受験するも、最後の抽選で不合格。公立小学校進学後は、お絵かき、習字、水泳、テニス、バスケットボールを同時に習い始め、小3から中学受験用の塾に通い始めました。母親が付きっきりで勉強を見て、ミスをすると叩かれました。
4年生の時に宿題が終わらず、東京の自宅から甲府に家出し、野宿して翌日帰宅する騒ぎを起こしましたが、その後はハードな勉強をこなして第一志望の有名中高一貫校に合格しました。
「これで一休みできる」とほっとしたのもつかの間で、中1の4月から中高一貫校向けの進学塾に通わされました。勉強への意欲はどんどん下がり、成績もみるみる落ちていきました。
■高1で盗難事件を起こし、失踪
中学3年の2学期で熱中していた部活を辞めさせられ、そこからAさんは荒れました。母親に対して暴言を吐くようになりましたが、母親は態度を変えようとせず、恐怖のあまり、Aさんは母親の首を絞めたこともありました。
高1の1学期終盤、学校の教室内で盗難事件を起こして捕まりました。先生からは、逃げた共犯の生徒の名前を言えと迫られましたが、口を割らず、先生の隙を盗んで学校を脱走しました。
「家にもいたくない。部活もやめさせられた。学校でも居場所がなくなった。」 自分の身分がわかるようなものはすべて捨て、着の身着のままで夜行列車に乗り、札幌に降り立ちました。今度は家出ではありません。学校を辞め、親とも縁を切り、身寄りのない世界で独りで生きていこうと決めました。
■高校中退し、大検の塾とバイトを始める
駅の待合室で求人情報誌を眺めていると、「手配師」と呼ばれる仕事仲介人に声をかけられました。実際には15 歳でしたが19 歳だと偽り、住み込みの仕事に就きました。 東京では当然「捜索願」が出されていました。家族も学校も必死でAさんを探していました。
1カ月ほど経って、親方が飲みに連れて行ってくれました。「身寄りはないのか?」「じゃあ、嫁さんでも見つけてやらなきゃなぁ」と親身になってくれましたが、「このままではいけない」と我に返り、すぐに東京に戻りました。
学校を辞めるというAさんに父親は「学校をやめれば、さらに厳しい道を歩むことになる。覚悟はできているのか?」とだけ尋ねました。 高校中退後は「大検」のための塾に通い、ガソリンスタンドや喫茶店でバイトもしました。
■母親に失望し、家を出て進学断念
しかしながら、塾で出来たカノジョの素性を必死で調べる母親に絶望し、改めて正式に家を出る決意をしました。新聞奨学生を1年間勤め上げてもらった奨励金を敷金・礼金にして小さなアパートを借りました。
大学進学はあきらめ、生きる方法を必死に考えた上で派遣社員に登録しました。 同級生たちはまだ高校3年生で、受験勉強にいそしんでいた頃に「過去の仲間の背中や、なれない自分を追いかけるのはもうやめよう」と自分に言い聞かせました。
倉庫業での派遣社員から準社員に、そして正社員転換の声がかかった時に、Aさんは履歴書に「〇〇高校卒」と学歴詐称をしてしまいました。困り果てて父親に相談すると、普段は「自分で何とかしなさい」としか言わない父親が会社の人事宛に手紙を書いてくれました。
■息子の履歴詐称を詫びる父親の手紙
「息子の行った履歴書の改竄は社会的に許されることではありませんが、親の立場より申し添えることをお許しください。 Aは、本人の希望により高校一年で中退し、大学検定試験を取得しながらも大学へ行く選択をせず、今に至ります。
本人にも様々な葛藤がありながらも、貴社の準社員として採用され、慣れないノートパソコンを購入して、意欲をもって仕事に取り組んでいたように思います。
思えば息子に対し、逆境を克服する強さを希望しながらも厳しい選択肢を強いてしまったのではないかと考えております。愚かな親ではありますが寛大な御処置をお願いしたく、何卒宜しくお願い申し上げます。」
■正社員になれた会社でがむしゃらに働く
会社の執行役員に自分のしたことを正直に話して謝罪し、父親の手紙を渡しました。執行役員が人事と掛け合い、晴男さんは無事、正社員になることができました。
「一度はレールから外れましたが、27 歳にしてようやくその場に立つことができたと感じました。誰からも認められるような仕事をしようと決めて、がむしゃらに働きました」
Aさんはめきめきと頭角を現し、4年後には課長に昇進しました。その時また、あの執行役員が声をかけてくれ、父親の手紙を渡されました。「生きているなかで、この瞬間ほど感動したことはありません」 Aさんはその後、恩人である執行役員の退職を見届けて、40歳で現在の会社に転職しました。
■25歳でようやく母親を許す気持ちに
その後の母親は、Aさん弟の中学受験対策に必死になり、弟はAさんとは別の難関中高一貫校に進学しましたが、東大受験で失敗。私大進学か、両親の望む浪人して東大再受験かで口論となり、弟は包丁を持ち出しました。たまたま実家にいたAさんは、弟の気持ちをなだめて、包丁を収めさせ、兄として弟の悲しみといらだちを受け止めました。
Aさんが 25 歳の時、久しぶりに母親とじっくり話す機会があり、そこで母親を許し、リセットしようと決めました。
「『こんなに考えているのに』『あなたのためなのに』というのは独善です。一方で、僕も、母親から逃げるばかりでなくて、もっと母親と対決していれば違う道があったと思うこともあります。父を尊敬していた母は『自分が息子を夫の期待通りの男性に育てなければ』と責任感を持ち過ぎてしまったのかもしれません。」
自分の経験を踏まえて、子育てで気をつけていることがあります。 「『こうしなさい』とは言わないようにしていますが、間違ったことをしているときにはドスをきかせて一喝することもあります(笑)。」
■教育虐待かも…チェックリスト
「教育虐待」は最近耳にすることが多くなりました。アマゾンで検索すると1200冊以上の教育虐待をテーマにした本がヒットします。中学受験が一般的になることで、この問題が顕在化したと思われます。「勉強ばかりさせて虐待しているのでは」と言われたことのある私には、考えさせられる内容でした。
冒頭でご紹介した書籍の帯に「1つでも当てはまったら教育虐待かもしれません」と題の付いたチェックリストがあります。
- つい「どうして出来ないの?」と言ってしまう。
- 「あなたのためを思って」が口ぐせになっている。
- 手当たり次第に問題集を買ってしまう。
- 子どもに毎日塾や家庭教師を掛け持ちさせている。
- 多少犠牲を払っても、中学受験で合格してほしい。
進学塾に通うお子様をお持ちの保護者様であれば、1つは当てはまると思います。私は、4と5が花丸が描けるくらいに当てはまりました。
■保護者様の悩みは中学受験終了後も続きます
極めて負荷の大きい中学受験で成功するためには、多少の無理や我慢をさせなければ合格は難しいです。「しんどい」「眠い」「嫌だ」とお子様が言うこともあるでしょう。病気以外は毎日勉強しないと塾のカリキュラムは終わりません。
私が考える1つの解決策は、中学入学後はある程度お子様にゆだねる、です。しかし、これをすると一度は成績が大きく下降します。自由度の高い中学校であれば、スマホやゲーム、部活などに夢中になるという相乗効果もあります。
親の悩みは中学受験の時よりも深くなる可能性があります。男のお子様は体が大きくなり、生意気になり、独自の屁理屈を並べて、もう保護者様が完全制圧することは難しくなります。
力で押さえつけるとこの記事のような方向に向かうかもしれません。放っておくとどこまでも成績が下降する可能性が高いです。中学入学以降の保護者様の悩みは「どこまで見守ればいいのか」変わります。平和に見えるご家庭も、何がしかの問題を抱えているものです。
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